いつもありあがとうございます( ´∀`)
今日はただの旦那さんへの愚痴です。
私の娘は重度の知的障害者で小児慢性特定疾患の子供です。
健常者と障害者に平等なんてありません。
健康な人と病気の人も平等なんてありません。
男と女だって平等なんてありません。
動物と人間だって平等なんてありません。
貧乏とお金持ちにも平等なんてありません。
男と女と男と女ではない人にも平等なんてありません。
全てに平等があれば、飢えて死ぬ人はいません。
全てに平等があれば、戦争なんておきません。
全てに平等があれば、離婚もありません。
全てに平等があれば、犯罪なんておきません。
全ての人や事柄において平等というのは、「人は死ぬ」「時間は過ぎる」それだけです。
平等なんてない、それを知った上で、
平等なんてない、と理解した上で、
平等なんてない、けど受け入れた上で、
平等を押し付けずに、どこまで平等かのように近づけるか、
という作業や気持ちが大事なだけであって、
個々が何を見て、何を聞き、何をして、何を譲り合い、何を譲らず、何をして生きていくか、
それは自由であるべき。
「人は死ぬ」「時間は過ぎる」以外の平等なんかないです。
その意味を知らない人は、平等をうたう。
きれいごとだ・・・
と、私は思っています。(あくまで、すべて個人的見解です)
だから、平等平等っていう人が嫌い!!!笑
そう旦那さんのそこが、もっとも吐き気がするほど大嫌い!!!
でも、そこを含めて受け入れていて、わかっていて好きなのです。
私は神か仏か、とさえ思う。
だけど、もしかしたら二回目のバツがつく日があるかもしれない。笑
未来はわかりません。
諦めることが美学か?
我慢忍耐が美学が?
どこまでも認めようと努力することが美学か?
自由になることが美学か?
最後まで闘うことが美学か?
深呼吸と共に、無の境地を目指すことが美学か?
正しいこと答えはないのである。
再婚7年。
互いの子育て、子供への想いの価値観は、違って当然なのだけど、
どこまで譲り合い、寄り添い、我慢も仕合い、認め合うか・・・
これこそが夫婦の課題であり、修行。
修行を乗り越えた先にあるものが素晴らしいものである、ということも想像がつく。
修行をやめた先にあるものも、決して間違いではないことも想像がつく。
人生には幾つもの帰路がある。
ただ、私はいつでも幸せです。
この瞬間も。
幸せはいつも自分の心が決めるから。
人の振り見て我がふり直せ。
旦那さんも、私への愚痴を言いたいことは必ずあるのだから・・・
と思いながらやっと7年。
たった7年。
明日は明日の風が吹く・・・
人間の心なんて移ろいやすいからね。
明日のことは明日決めよう♪
愚痴でした( ̄▽ ̄;)
最後まで読んでいただいてありがとうございました(^◇^;)
平等を口にする人・・・
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