忘れない、忘れちゃいけない。

いつもお世話になっております。
今日のブログ内容は、津久井やまゆり園事件4年の追悼を込めての内容です。
苦しくなるような内容かもしれませんので、不安になりそうな方は読まずに閉じてください。

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津久井やまゆり園事件とは
元施設職員の植松聖被告(事件当時26歳)が施設に侵入して所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた事件です。

被告の生い立ち(様々な記事などから抜粋、参照)
小学校教員の父親と漫画家の母親との3人家族で相模原市で育ち、事件のやまゆり園から1kmほどに住んでいた。

幼少期に、発育や発達の遅れを指摘されたことはない。

地元の小学校では、同じ学年にもいた障害児との関わりもあった。
障害児の送り迎えのため、学校に来る母親の姿を見て「親が疲れ切っていて大変だ」と思っていた。
しかし、特別目立って問題も起こしていない。親との不仲、強い不満なども特になし。

地元の中学に上がり、途中から酒や喫煙、万引きに加わり不良少年たちとの交流するようになる。
女性との交際も既にあったが、女性の証言からは被告との交際はよい記憶として残っていたよう。
証言では、「交際中の被告は優しく連絡はマメだった」と。

その後、成績は中の下ほどで、私立高校の調理科に進学した。
高校時代もスポーツなどしながら、格段に悪いことなどはなかったようだ。

そして、父親の影響もあってか、なんとなく小学校教諭を目指し、AO入試で帝京大文学部教育学科に進んだ。
しかし、大学に入ると髪を茶色に染めた。服が派手になり、ちゃらくなってはじけだした。
入れ墨をいれ、危険ドラッグも吸い始めた。ドラッグや大麻はずっと続いていたようだ。

交際女性や友人などの証言でも、
「ほぼ毎日吸っている。吸い過ぎて、効いている時と効いていない時の境目がわからなくなってきた」と言っていたよう。

その中で、4年生だった2011年5~6月、小学校で約1カ月の教育実習をした。障害者施設での実習もあった。
評価はB(70〜75点)だったそう。
2012年3月に大学を卒業。東京都教育委員会から小学校教諭1種の免許を授与された。

だが、教職への就職活動はせず、就職先に選んだのは自動販売機に飲料を運んで補充する運送会社だった。
働いて数ヶ月で、きつい、辞めたいとも思っていたころに、
津久井やまゆり園で働く幼なじみの男性と再会した。

幼なじみの男性は、「利用者の人と一緒に過ごすのは楽しい。生活しているとかわいく思うよ」
こう話すと、被告は「へえ、俺もやってみようかな」と興味を示した。
その後、施設で働くことになるのである。

交際中の女性には、その頃から障害者への不満などもらしている。
そして、事件を起こす5カ月前に、植松被告は大島理森衆議院議長に宛てて、犯行を予告する手紙を書いている。そこにはこうある。
〈障害者は不幸を作ることしかできません。〉

衆議院議長宛の手紙について、地元の警察署から連絡を受けたやまゆり園では、すぐに植松被告と面談する。

そこで「障害者は周りの人を不幸にする。いないほうがいい」と語ったことから、
「それはナチスの考え方と同じだ」と応じても、「考えは間違っていない」と言い張り、園は辞職を促したという。
そこで辞表を出した直後に、強制入院の措置がとられたそう。

しかし、その後退院することとなる。
そして、凄惨な事件が起きた。
犯行内容は、凄まじく恐ろしい。(書かないことにします)

被告は当初から一貫して、「意思疎通のとれない人は不幸を生む」「お金と時間を奪っているから」
「重度障害者を育てるのは間違っている」と主張している。

また、「何もできない者、歩きながら排尿・排便を漏す者、穴に指をつっこみ糞で遊ぶ者。奇声をあげて走りまわる者、いきなり暴れ出す者、自分を殴りつけて両目を潰してしまった者」などと列挙し、
「彼らが不幸の元である確信をもつことができました」と主張する。

植松死刑囚は、被害者のことを「心失者」と呼び、「人間の条件」に当てはまらず、生きている資格がないと主張し続けた。

3月16日死刑判決
死刑判決のあと、裁判長が閉廷を告げたところで、植松被告は手を挙げて「すみません。最後に1つだけいいですか」と言った。だが、発言は認められなかった。
被告は控訴せず。
3月31日に死刑確定

『夜と霧』はナチスの強制収容所体験をつづった本。植松死刑囚は座右の書としてたびたび言及し、身の回りに置いておいた大事な書物とのこと。
また、イルミナティカードに熱心に信仰していた。

第一回公判では、右手の小指を噛みちぎろうとしている。
その後も、噛みち切る行為で拘束や懲罰を受けているそう。

本人の懇願により、死刑執行が早くに行われる(1年早々の可能性も)かもしれない。
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本人の主張は一貫しているけれども・・・
やはり、はっきりと被告の思想が何故おきたのかは明確ではないまま。

津久井やまゆり園、被告に限ってではなく、日本全国世界でも、障害者への差別偏見はなくならない。
戦争と同じだ。
また、家族が障害のある我が子を認めない、受け入れない現実もなくならない。
施設に入れたまま、一度も会いに行くこともなく、亡くなった時はこの世にいなかったことになる場合も。

また、施設での職員による、虐待もなくなならない。
人間とは何か?
命の尊厳とはなにか?

100%正しい答えはない。
私自身で考え抜いても、行き着くと・・・生まれた瞬間から悪魔の子はいない。
人間の命は全て尊い。誰のものでもない。
と、なってしまう。

人間が人間の体を切り刻むことを、信じることが出来ない。
理解できない。
それしか、答えが出ないのである。

私の娘も障害者。
障害者を持つ家族、また障害者本人、それぞれにも価値観は違う。

人は違う価値観、初めて出会う価値観、これまで出会ったことない人々と出会った時、見かけた時、
怖い、恐ろしい、醜い、汚い、関わりたくない、逃げたい、
という心理を持ってしまう生きものです。
だから偏見や差別は生まれる。

無知とは恐ろしいものです。


総体数が違うと、「異物」感じてしまう。紙一重なのに・・・
いわゆる多様性を認めるって、簡単なことではない。
だけど、同じ人間なのである。
小さな世界にいる人は、自分以外の人を認められない、受け入れがたい傾向がある。

人は人と出会うことで、自分を知り、自分を認めることができると、初めて人を認めることができる。
でも、人を受け入れるって難しく考えなくても、
せめて、排除する気持ちをもたずに「色んな人がいるんなぁ」と思うだけでいい。

自分と違う何者かを、排除しないで!攻撃をしないで!傷つけないで!殺さないで!

どうかどうか、二度と同じようなことがこの世で起きないように、風化させてはならない。
どうしても、事件について言いたかった。
4年経ってようやく、事件について思い出したり発言しても、ひどい動悸や震えは起きないようになってきました。


亡くなられた被害者の19人もの皆さん、どうかこれからも天国で安らかに。
生まれてきてくれてありがとう。

読んでいただきありがとうございました。

2024年4月
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